家系学「地蔵流し」in京都に参加 " ご先祖様へ徳を積み廻し向ける "
- オアシス倶楽部
- 5 日前
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今日は、家系学の小川先生にお誘い頂き、夫婦で京都の「地蔵流し」を経験させてもらいましたので、皆さんと分かち合いたいと思います。

オアシス倶楽部でも、小川先生のお人柄や、家系学を世に送り出した実績は、記事を通じてご存知かと思います。
私自身は、自営業者の教育カリキュラムを、長年に渡り創り続け、伝え続けてきた立場として、その原点であり、また終着点として出逢ったものこそ、この家系学であると悟りました。
全ては家系に立ち返る。
家族にこそ、生まれて来た理由の全てが詰まっていた。

私の教育では、「思考」を整える事を第一としていましたが、教えても教えても、それが叶う人は少かったように思います。
身に付いた僅かな人達の特徴は、先ず「心」が整っている状態にあると感じました。
つまり多くの人は、思考の前に、心が乱れている為に、集中して学べない状態にあると考えられるのです。
では、「心」が乱れている人には、何をしてあげれば良いのか。
私には、それを知る術がありませんでしたが、家系学がその答えをくれました。
霊的存在である御先祖の方々と、物的存在である子孫の我々で、共に紡ぎ合いながら、それぞれの家系が持つ、宿命や業(カルマ)に挑んで行こうとする、家族全員参加の興行祭典であり、ひとつになって歌う讃美歌のようでもある。

この状態にある人の心は、寒い夜に、頑丈な家の中に居て、暖かい暖炉の前で、何重にも毛布を巻かれた子供のように、不安ひとつなく豊かであり、逆に、これを知らずに生きている人の心は、砂漠に置き去りにされたように、孤独で、渇いて、擦り減っているのだと知ったのです。
「心」が整いさえすれば、後は日本語が理解できる人なら誰でも、「思考」は身に付くものだと、私はそう考えるようになりました。
これは家系学を通じて、私が学んだことです。
私にとって、その様な影響力を持つ小川先生に誘って頂いたわけですから、早めに予定を調整して、京都の地蔵流しに参加したわけです。
当日、京都市上京区のKBS会館にて、集まった皆さんの御先祖様へ、宮司さんと、和尚さんが、それぞれお祈りをしてくださいます。

家系学チームからの参加者は、私達夫婦を含めて、50名ほどおられるのを見て、小川先生を慕われて、学びを求める人の多さに驚きましたし、皆さん、とてもお人柄の良さそうな方々ばかりでした。
同時に気付いたのが、全体の半数が家系学チームからの参加者で、残り半数は、徳風会というこの「地蔵流し」を江戸時代頃から行って来た、本家本元の皆様でした。
聞いたところによると、この催しも年々参加者が減り、今は費用を捻出するのも大変で、このままでは歴史ある「地蔵流し」も途絶えてしまうかも...とのことで、とても残念に思うと同時に、続けて行けるよう私も何かできないかと思いました。

徳風会は、地元の墓守りの方々で立ち上がった会らしく、先祖を、お墓を大切にしようという理念をお持ちなので、家系学とは歩む道が同じということで、小川先生はこの「地蔵流し」を応援する意味も兼ねて、動員にお力を入られているとも考えました。
私としても、日本にとって、この様な文化が消えることは、道徳面を鑑みた国益の、多大な損失でしかないと考えます。
昔は徳風会の参加者だけで、昭和の時代には1,000人以上来られたと聞きますから、高齢化と経済の衰退、教育の劣化に、人口減少が蝕むものを如実に感じざるを得ません。
それはさておき、祈願の特徴を挙げると、仏神が一つの場所で祀られて、共に祈りを捧げるという特異な催しは、この歴史の古い京都でのみ行われるものだそうです。
こちらの会場で、後の地蔵流しに流す、お札を書き上げます。

私はこのお札に、田坂家の祖父と祖母だけでなく、田坂の家系で哀しい思いをした女性の名も書かせてもらいました。

今世の私の運命を導く、我が家系の、宿命と業の女神様です。
小川先生は、この日の為にお手製の資料を作ってくださり、そこに全て解説が書かれている為、この祈願の時間も何が行われているかの意味が理解できて、とても有意義でありました。
お祈りは90分程で終わり、そこからバスで、「地蔵流し」が行われる大堰川の渡月橋へと移動します。

この間も、小川先生は参加者皆さんの事を考えて、小川先生の師匠でもある徳風会の河合照修先生が移動中に講話をしてくれました。
印象に残った言葉は、
「今の親は、子供に迷惑を掛けたくないから、墓終いしようとする、そんな事をしながら、同時に子供には責任を持てという。
自分の先祖の墓を、自分が守って行くから責任が芽生えるのに、子供の為にと墓終いしておいて、子供にお前は責任感が無いとは、全くどの口が言うとるか。」
とぉーーーーっても為になりました。
河合照修先生、ありがとうございました。
大堰川に着き、少し歩いて渡月橋から屋形船に乗船します。
一舟に20名程度乗り込み、先ほど書き込んだお札を流します。
しかし、その前に「徳」を行動で示す儀式として、料亭で鮒寿司になる運命だった「鮒」(フナ)を、川に逃す(命を救う)という事をやります。

多分これは、陛下が即位される等の祝賀祭典時に、咎人の罪が減刑されるといったものと近い感じなのかも知れません....が、鮒、めっちゃいる。
めっちゃ元気!
魚数、多数解放!
近くでじっと見ている水鳥の餌食にならないか気にしながら、川へ放つお手伝いをしました。
ではいよいよ、お札を順次流して行きます。
全員の参加者が書き込んだお札を、ランダムに持ち合い、それぞれが無心に、一枚づつ流して行きます。

自分の御先祖様のお札も、きっと誰かが心を込めて流してくれているはず...
そう思い合える、感じ合えるのが、このやり方の素晴らしいところだなと。
観光用の手漕ぎボードに乗っている外国人の方々が、珍しそうに見ていました。
自国の文化には無い独特な風習が、興味を惹くのでしょう。
屋形船からは、地蔵経が繰り返し流れて来ます。
「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」
「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」


終えて舟を降りると、とても気が晴れやかになり、身体が軽くなり、景色も明るくなりました。
皆さん良ければ、来年ご一緒しませんか?






















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