ロンボク島視察ツアーレポート⑲「ギリ島と日本の深い関係」
- オアシス倶楽部
- 7月1日
- 読了時間: 3分
ここで少し、ギリ島と日本の関係に
触れていこうと思います🙋♀️

と言いますのも、
ギリ島って、ただ「綺麗な南の島🏝✨」
と思っていたのです
行ってなお、そう思っていました
ところが、こうして旅行記を書きながら
調べていると、
直線距離で5500kmも離れているギリ島が
日本と深い関わりがあることに気づきまして
💡💡💡💡💡
そこで、
こんな事を知っていたらまた、
現地での感じ方も変わったのかなと🥺
という事で、
調べてみた事ではありますが、
連々と書いてみようかと思います
どうぞお付き合いくださいませ☺️
小さなサンゴ礁の島であるギリ諸島は、
島内で採取できる
自然の淡水(飲み水になる真水)がなく、
ほんの数十年前まで無人島でした🏝


人が定住し始めたのは、1971年頃
ココナッツ農園を開発するために、
ロンボク島の刑務所の受刑者が
労働力として送られたのが
初期の定住者だそうです
まだ人が住み始めて新しい島なんですね💡
島にできた最初の宿
「Pak Majid(パク・マジット)」が
建てられたのも1982年で、
それ以前は本当に
“漁師と自然の島”に近かったそうです
そこから遡ること30年
太平洋戦争中、
日本軍はインドネシア一帯を占領し、
大型船の重要な航路である
ロンボク海峡を監視する拠点として、

ギリ・トラワンガンは特に、
・見張り所
・監視拠点
・防空砲の設置場所
として利用されていたと伝えられています


島の名前の由来は、
日本軍が地下壕やトンネルを
掘ったことから、
トンネルの島
=トラワンガン(terowongan)
という説や、
ササック語の「テラガン(Terangang)」
という言葉で
・ウミガメが産卵にくる場所
・明るく開けた場所
という説もあります☝️

ギリ・アイル島の周辺には、
戦時中の日本船も沈没していて、
ダイビングで見ることができるそう💡
(沈没は1945年)


この事ね☝️
『沈没船を見に行こうツアー』
改めて思うけれど、
泳げない人が行くところではないよね?😂
それはそうと、ギリ・トラワンガンは、
ただのリゾートではなく、
・海の交易路であり
・戦争の記憶があり
・ササック文化やイスラム文化が交わり
・現代の観光
が幾重にも折り重なった場所なんですね
さらには、
ササック族と日本人との関わりが、
歴史上の出来事だけではないことも
見えてきます👀
ササック族は元々、
・農耕文化
・村共同体
・相互扶助
・年長者を重んじる感覚
を大切にする文化を持っていると
言われています

なので、
戦時中の日本についても、
「ただ厳しかった、怖かった」
というだけではなく、
日本兵が
村人に食べ物を与えたり、交流したり
農作業の技術を教えたりしていた
という
"同じような空気を持っていた人の記憶"
が受け継がれていることもあるようです
単に、「親日」ではないということ
・「見えないもの」を尊ぶ感覚
・派手さより調和を重んじる
・集落単位の空気
・母性的共同体
・"間”を大切にする感覚
ササック族のこんな文化が、
日本人がロンボクを、どこか懐かしく
感じる要素なのかもしれません☺️
「初めて来た場所(国)なのに落ち着く」

私の感じたことは
間違っていなかったのですね😉
・所有するより預かる感覚
・支配するより共にある感覚
・見えないもの存在との共存
ロンボク島は、昔からの記憶で
この土地が自然の周期に合わせて人が生きる
「人間が主役じゃない場所」が
残っているから、
「急がなくていい」空気なのでしょうか🤭
次回訪れる際は、
月の満ち欠けや潮の流れ
風や動物、お祈りなどの自然の音
そんなものをより感じられたらいいな😊

さっ、ロンボク旅行記
ようやくお話は、
最終日ディナーに向けてまいります
次回もお楽しみに😉






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