すっかりコラムニストになりつつある私、田坂俊紘めが今日も思うことひとつ。
現在、JR広島駅。

もうすぐ山陽新幹線が、私を広島→岡山まで一瞬で連れ帰ってくれる。
乗車時間、わずか35分。

車移動だと2時間では効かない。
「のぞみ」の偉大さを感じる。
私が乗る車両は、8、9、10号車のいずれかである。この3車両はグリーン車だ。

そこで、「ふ」と思う。
グリーン車....って、なんだ?
何度も乗っているが、車内が緑基調であったことは一度もない。
車両には、四葉のクローバーが描かれているが...、だから....なんだ?意味が分からない。
私がグリーン車を使う理由は、
①シートが快適で身体が楽
②車内サービスが超頻繁に来る
③イチ車両あたり、席が半分以上空いている
④エスカレーター登って直ぐ車両
⑤礼儀正しい人達が乗っている
以上である。
その快適さを得るための条件は、ただひとつ。
乗車料金が高い。
それだけだ。
世の中、矛盾する2つのルールが混在して機能している。
ひとつは、民主主義。
簡単に説明すると、これは多数決で物事を決めるというルールだ。
もうひとつは、資本主義。
簡単に説明すると、何事もお金を沢山出せる人が有利だというルールだ。
日本では、民主主義であることを全面に押し出し、逆に資本主義である側面は、常に隠そうとしているように感じる。
貧困擁護
弱者救済
人間平等
1人1票
消費者保護
人権確保
適当に好まれそうな熟語を並べると、表向き民主主義が機能している社会を感じられる。
多数決を活用したければ、数が少ない強者より、数が多い弱者に気を使わなければならない。
世の中を思い通りに、スムーズにコントロールしたいと采配を振るう権力者達の、弱者に対する気遣いが、目を凝らすと、そこかしこに見てとれる。
そのひとつが、このグリーン車というナンセンスなネーミングである。
昔は、
1等車(グリーン車)
2等車(指定席)
3等車(自由席)
と、分かりやすく順位付けされていた。
つまり、事実がそのまま真実であった。
しかし、時代と共に民主主義が発展すると、資本主義である真実を少しづつぼかす必要が出て来たのだ。
仮に、自由席→不自由席と呼び名を変えれば、あっという間に世の中の仕組みに気付けるのだが、気付かないでいてもらう方が、権力者にとって都合が良いのだろう。
実際は、不自由席の方が正しく表現できていると思うのだが、どうだろうか?
16両編成の「のぞみ」において、自由席は僅か3両しかない。
残り13両は、全て自由に好きなシートを指定して座れる。
しかし、こちらは指定席という名で呼ばれ、まるで命令に従わされているかの印象を受ける。
本当は、こちらが自由席ではないだろうか?
そして、豊かさの象徴の様に聞こえる自由席は、僅か3両、225席を有象無象で取り合う椅子取りゲームだ。
車両内では、結構な頻度でアナウンスが流れている。
「自由席のお客様には、席が無く大変にご迷惑を.....」
「自由席のお客様で、手荷物を座席に置いているお客様、他のお客様のご迷惑に....」
いっそ、
自由席→不自由席
指定席→自由席
グリーン→プレミア席
に、してみよう。
名誉を気にする一定数の人は、多少無理をしてでも、ワンランク上を購入するはずだ。
その分、真実を理解できる(自分は貧しい)し、JRの売上も上がる。
航空会社にも同じ様なことが言える。
エコノミー(経済的)という手の込んだネーミングによって、さも自分は環境問題に取り組んでいる様な気にさえなれるが、実際は窮屈な列に詰め込まれ、気分が悪くなる人が出てもおかしくない環境に陥る。
ある意味、これも環境問題ではないのか。
もっとハッキリ言わせてもらえば、荷物置きスペースに椅子を目一杯敷き詰めただけだ。
当たり前を、当たり前として受け取らない目を、耳を持ちたいものだ。
自分ではない誰かの、都合良く解釈された事実を見るな。
自分ではない誰かの、都合良く塗り替えられた戯言を聞くな。
嘘を信じるな。
見破れ。事実は真実の敵なり!
インフレ、円安、無金利、減俸....。
格差は広がるばかり。
しかし、それはあくまで事実。
それが貧困に陥る真の理由ではない。真実ではない。
今に始まったことでもない。
人類が誕生してから、歴史上ただの一度も、我々には平等なんて存在したことは無い。
真実の探求者よ。
自分の目を、耳を信じ始めたその場所から、未来が開ける。
数多の嘘に迷うな。
ひとつの真理を知れ。
そこにオアシスがある。
生きる意味が煌めく場所がある。
ありがとうございました。
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