どう言い換えたって良いとは言えない
環境に置かれながら、
ポジティブにコツコツと
やり続ける人がいる
その諦めない精神力に
思わず唸ってしまいました。
こんにちは。
私、阿部千恵美が先輩経営者様にお話を伺い
学ばせていただくコーナー【情熱輩先】
今回は、日本を飛び出してなんと!!
シンガポールからお届けいたします!
まずは第一弾といたしまして、
外壁・屋根塗装、リフォーム工事を施工する
株式会社gon 青木謙吾社長に
インタビューさせていただきました!
伺ったお話の内容の前に、
㈱gon(ジーオーエヌ)のご紹介を
させていただきますね。
会社のHPを拝見しますとそこには
『gonのこだわり』が書かれてあります。
東京都、三多摩地区を中心として
地域の皆様に親しみを感じていただき、
気軽に相談やご連絡をいただけるような
【敷居の低い会社作り】
3つのこだわりの1つ目は
✓地域密着の柔軟&スピード対応
「こんなこと相談してもいいのだろうか」
と思われるような些細なお悩みでも、
お気軽に連絡をください、とのこと。
2つ目は
✓明朗会計
自社施工により無駄なマージンをカット。
お客様に寄り添った見積もりと
品質の高い施工をご提供。
3つ目のこだわりは
✓自慢の職人集団
職人の技術を磨くことはもちろん、
挨拶やマナーにこだわっております。
さらに、
建設業は接客業であるという共通認識を持ち
お客様に気持ちよく、安心して
施工を任せていただけるよう
採用・育成をしております。
お客様だけでなく、近隣住民にも気持ち良く
工事期間中お待ちいただけるような
対応を徹底しております。
インタビューを終え、
この記事を書いている今、私は
ここに書かれている内容は、
表面上の良い格好ではなく、
青木社長が心から思って実践されている事
なのだろうと、思えます。
では、そのインタビューの様子を
お届けさせていただきますね!
場所は、ホテル18Fにある
インフィニティプール&バースペース
マリーナベイサンズや金融街の高層ビル群を
一望することができる絶景スポット
当日は、少し雨や風もありましたが
とても気持ちのいい場所でした!
実は、この日まで私は、青木社長って、、、
ちょっと近寄りがたい雰囲気…怖そう…と
思っていました。
がしかし、
約束の時間より早めに来られた青木社長。
「服、これでいいっすか?
襟付きに着替えてきましょうか?」
とても気さくで気配り上手なご登場。
「俺、人見知りなんです」
恥ずかしそうにお話され、
肩肘張らない雰囲気を作り出してくださって
のインタビュースタート!となりました。
阿部:青木社長は生まれも育ちも
東京なんですか?どんなところで
幼少期を過ごされたんですか?
青木社長:そうです。東京って言っても
23区じゃなくて、村みたいなところです。
なんにもないところですよ。
住宅とショッピングモールがあるだけの
何もない、やることもない。
小さい頃は、、蟻ん子食ったりしてました。
阿部:蟻ですか?初めて聞きました。
お味はいかがでしたか?
青木社長:「これ、食えんのかな?」
と思って食ってみたら、
甘いのと苦いのがありました 笑。
そんな事してて、
気がついたら大人になってた感じですね。
阿部:学生時代はどんな風だったんですか?
青木社長:学生時代ってね…
あんまりないんですよ。
ちょっと家庭環境が悪くて、
俺が9歳の時に父子家庭になっちゃって。
ちょうどバブルの時で、
親父は仕事が忙しくて帰ってこない。
近所にパンもらいに行ったりしてて、
孤児みたいな生活だった。
当時は不良の時代だったんで、4つ上の兄は
グレてどんどん悪い方にいっちゃって。
兄弟間のいじめもすごかったから、
家に帰るのは怖いし、
(いじめられてることを)白状すると
殺されちゃうんじゃないかと思ってて。
その時は結構、
近所のおばさんに助けてもらったね。
だから、小学校の4年生で最初に
入ったクラブはお料理クラブだったんだよ。
だって、自分で作らないと死んじゃうから。
当時はそんなだったね。
でも、すごい楽しかった。
どんどん人とずれていく感覚が。
同級生より自分の方が先に
大人になっていっちゃうんだよ。
それがすごい楽しかった。
高熱が出たって、
病院も親は連れて行ってくれないから、
自分で行って、
大人と話をしなきゃならなかった。
当時はわかんなかったけど、今考えると、
その辺が人とコミュニケーションが取れる
要素になったのかな。
そういうのもあって、自分は人に雇われる
のが苦手になっちゃったんじゃないかな。
阿部:そうだったんですね。
中学や高校の時はどうでしたか?
青木社長:中学校の時は、バイク盗んだり、
悪いことばっかしてたね 笑。
阿部:尾崎豊の世界に入ってしまいます。
青木社長:そう!だからやっぱ響いたよね。
尾崎豊わかるー!みたいな。
共感してしまうよね。
ちょうどね、14,5歳の時に
「ヤンキーだせえな」と思って、
そこからスケートボードをやって
スケーターになるんだけど、
高校に入る時に学校の先生が
俺の家庭環境に気を使ってくれて、
「寮はどうだ?」って言われて見に行ったら
ちょうどその男子寮にはスケートボードやる
愛好会みたいなのがあってね。
「あ、俺ここでいいや」
って入ったんだけど、
結局、事件を起こしてしまって…
学年全員でね、
学校の先生たちに反乱を起こしたのね。
その旗振り役で捕まっちゃって、
1年の4ヶ月程しか学校に通えなかった。
阿部:どうしてそんな反乱を?
青木社長:寮の朝がね、6時半起床
7時から点呼なの。
寮にいる時はずっと先生が回ってるから、
勉強しなきゃいけないし、
10時の消灯後は先生が廊下に座ってて、
トイレに行くことしか許されなくてね。
相当厳しくて、鑑別所みたいだった。
だからそれを「覆してやろうぜ!」って、
週に何日か先生がいない日があったから、
消灯後、その日を狙って
「階段に集合しよう!」って言ったら、
1学年全員が集合しちゃってね。そしたら
フーリガンみたいな感じになっちゃって。
俺とあと他に仲間がいて
「始めるぞ!」って言ったらね、
真面目な子達が「自分もいける!」と思って
職員室を壊しちゃったり、
先生に殴りかかっちゃったりして。
そこから授業がね、
2週間3週間位なくなっちゃったの。
でもやっぱり、
真面目に勉強したい子もいたから、、
俺は出頭したの。
そしたら「もう学校には来ないでくれ」
って事になっちゃったんだよね。
俺はほら、兄から逃げる為に寮に入ったけど
その時は兄も家を出てたから、
なんとか家に帰れてね。
「これからどうするかな」っていうので、
独立したらワンチャンいけんじゃね?
と思って職人になって。
19歳の時に彼女と同棲を始めて家を出た。
その時の彼女が、今の奥さん。
阿部:職人というのは?
青木社長:外壁屋さん。
『サイディング』っていうやつなんだけど、
家の外の壁を張る仕事。
阿部:それをやろうっていうキッカケが
何かあったんですか?
青木社長:地元の先輩がやっててね、
全然やりたくなかったんだけど、
「手伝ってくれ」って言うから
やったんだけど…
これがまた、最初はその先輩に
(俺)売られてちゃって。
朝、仕事の集合場所に行ったら、
外壁屋さんじゃなくて塗装屋さんだったの。
俺、売り飛ばされてたんだよ。
それでも、1年半は頑張ったんだけどね。
当時、その会社の社長達が、
今で言う◯◯◯◯で、
よくわかんないシステムでさ。
土地柄がやっぱ悪かったからね。
ひどい町だったね、
今はすごいクリーンになったけど。
だから、そういうのを辞めてね、
紹介した先輩を怒ったんだよ。
結局一緒に働くことになったんだけど、
そいつが悪くてね…
「もう俺、独立したい」
ってその時思って、
19歳の終わりくらいで家を借りて、
自分の名前でやってこうっていうので
独立したの。
そこから20歳で、子どもができて結婚して。
阿部:結婚が早かったんですね。
奥様とはもう何年?
青木社長:26年?27年か。
俺、結婚しか考えてなかった。
『家庭をもつ』
『自分の土俵でやりたい』
それしか考えてなかったね。
今は子どもが3人いて、孫も3人いるよ。
阿部:えっ?早いっ!
青木社長:早えんだよね。
だから、一通り終わっちゃたんだよね。
何しようかな、これから 笑。
「もう一通り終わっちゃたんだよ」
と話す青木輩先。
19歳から始められた仕事のこと、
奥様との関係やそこにある想い
今、楽しんでること等
第2話に続きます!お楽しみに♪
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