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【情熱輩先】〜お金の専門家に聞く!人生で大事にしていること 前編〜

執筆者の写真: 倶楽部 オアシス倶楽部 オアシス

先輩経営者様にお話を伺い、

その人生から私、阿部千恵美が

学びを得させていただくこのコーナー

『阿部千恵美の情熱輩先』


本日は、経営者として大きく成功されており

なんと!今回、本を出版されたという

村上達郎さんにお話を伺いました。



村上さんと言えば ”金融のプロ中のプロ”


ずっと学び続ける姿勢が素敵で、

何でもすぐにできそうなイメージでしたが、

実は実は、ここまでくるのには、

谷あり谷あり谷ありだったとか…


どんな谷があったのか、

一緒に見ていきましょう!


________________________


ー村上さん、こんにちは!

今ちょうどこちらに持っているんですけど

お金の本を出版されたんですね!



今日は【お金の専門家】としての

村上さんの強さの秘密を、

根掘り葉掘りお聞きしたいと思います!

よろしく願いします。



先日いただいたプロフィールに

「小学校の時の仲良しに誘われて

サッカークラブに入団するが、

順番待ちに耐えられず退団」

とあります。


いつも持たれている鞄もグローブの

生地で作られたものでしたよね?

村上さんと言えば

『野球』のイメージがあるんですけど、

サッカーから始められたんですね?



村上:そうですね。

小学校1年の時に誘われて、

一回行ってみようと思って行ったんです。

そしたらその頃、

Jリーグが始まるちょっと前くらいで

サッカー人気が上がり出してたんで、

ドリブルの練習1回やるのに3〜4分

待たないといけないくらい人が多くて。


その時間がどんどん退屈になってきて

「面白くないやん」って思って

行かなくなりましたね。

順番待ちするのが得意じゃなくて。



ーそうだったんですね。

村上さんって小さい頃から

性格はあんまり変わってないですか?



村上:ずっと一緒でマイペースですね。

我が道を行く。



ーそうなんですね。

私先日、村上さんのセミナーを

聞かせてもらって思ったんですけど、


「この人にアドバイスもらいたい、

自分の事を相談したい」って思える、

頼れる感じが村上さんにはあるんですね。

小さい頃からキャプテンや

学級委員ってされていましたか?



村上:小学校から大学までずっと

副キャプテンでしたね。



ー副だったんですか?



村上:「キャプテンは嫌」

って自分から言ってました。



ーキャプテンは嫌で副ならいいんですか?



村上:前に出る人ではないんですね。

後ろから「行けいけー!」って

やる方が好きなんです。



ー実は私も副が多かったんです。

でも私の場合は、キャプテンを押しのけて

前に出ていましたけど 笑。

だけど前に立つってなると、自分に

自信がないところが出てきてしまって

急に引っ込んでみたり。



村上:情熱焙煎なのに。



ーほんと、そうですよね 笑。

ところで村上さん、

野球を始められたのはその後、

小学校の時ですか?



村上:そうです。もう一人の仲良しがいて、

彼が「野球やるねん」って話を聞いて、

誘われるがままに行ったって感じですね。



ーサッカーは面白くなかったけど、

野球は面白かった?



村上:仲良しの子のお父さんがコーチ

だったんですけど、テニスボールで

素手でキャッチボールしたんですよ。

それがすごい面白くて。


要は、順番待ちせずに全員が

ボールを楽しめるっていうところに

興味を持ったって感じですね。



ーそういうところだったんですね。

小学校の時のプロフィールに

「中学校を受験」と書かれてますけど、

親御さんは教育熱心な方だったんですか?



村上:いや、そんなことはないですよ。

住んでたところがその地区に

中学校が一つしかない田舎で、

しかもその学校は窓ガラスがすべて

割れていたり、原付で通う子がいるような

荒れた学校だったんです。


うちの母親には、僕は流されやすくて

自分がいいと思った事をやってしまう人間

って思われてたんで、そういう学校に行って

そういう先輩と仲良くなっちゃったら、

よくない方向に行くんじゃないかという

心配ですよね。それで中学受験しました。


自分で言うのも何ですけど、

僕のあだ名が『天才くん』やって、

勉強もスポーツもできたんです。

だけど、その受験して入った中学校で

挫折しましたね。



ー村上さんが挫折?



村上:僕が入った野球チームが当時、

全国優勝し続けてるようなチームで、

日本で一番練習が厳しいって言われてる

ところだったんですね。



同級生は170cm超えみたいな子が多い中、

僕は150cmくらいで、

ダントツで背が小さかったんですよ。


バッティング練習しても、

僕がとてもじゃないけど打てないような

打球をバンバン打つんですね。


「とんでもないとこに来てしまった。

全然レベル違うやないか」


っていう最初から挫折というか、

劣等感をもった感じでしたよね。



ー「ナニクソ精神」ですね?



村上:あー、それはあったと思いますね。

とりあえずデカイだけの奴には負けへん

とは思ってましたよね。

身長が高いだけで負けてしまったら、

自分の存在価値がなくなっちゃうみたいな

変な意地があったと思います。



ー努力しないと認めてもらえないみたいな?



村上:そうですね。

当時は血を吐くくらい練習しましたね。

だから、今うちの子供も野球やってて

「1日1000回素振りはしろ!」

「30mダッシュ50本走れ」

みたいな事を言ってるんですけど、

自分がやってきた事はせめて、

して欲しいなって押し付けなんですけど。

彼らがそこまでやるかって言ったら

そうでもないところが多いんで、

もっと!って焦ったい時持ちはありますよね



ーその頃行きたい高校ってあったんですか?



村上:その頃テレビで甲子園を見てて、

常総学院がかっこいいなと思ったんですよ。

当時、黒や白のユニフォームが多い中、

漢字で【常総学院】って書かれたえんじ色の

ユニフォームだったんですよね。

全員うまく見えたんですよ。


えんじ色って他のチームには

全然ない色だったのと、

当時『木内マジック』

って言われてたんですが、

監督がすごい策士の方で。



「ここに行ったら自分は

ほんまに野球選手になれるな」と思って

「行きたい!行きたい!」

って言い続けてたら、中2の時にたまたま

試合を見に来てた常総学院の部長さんから

声をかけてもらったんです。



ーすごい!



村上:でも、その後、

腰の怪我をして取り消しになりました。

当時僕はちょっと荒れ初めてたんですけど、

そのタイミングで多いに荒れました 笑。

捜索願も何回も出されたりとかしてましたね



ーあららら。

じゃあ、別の高校を選ぶことに?



村上:僕は京都なんですけど、京都にチーム

のある学校には行きたくなかったんです。

それで、当時大阪で一強だったPL学園に

体験に行ったんですね。


そしたらそこは、体験初日に守ってったら、

後ろから先輩に

「お前入ってきたらボコボコにしたる」

みたいな事言われて蹴られるんですね。

それで「こんなとこ絶対嫌や!」

ってことで近大付属に行こうとしたら、

評価が遠く及ばず。


甲子園出て野球選手になるのにって探して

最後、香川の尽誠学園か

島根の江ノ川学園に絞って、

尽誠学園を見に行ったんですけど、

そこで・・・


体験入寮初日の夜、消灯の時間になっても

興奮してなかなか眠れなくて同じ体験だった

子とコソコソ話してたんですけど、その時に

同じ部屋だった先輩2人がなんと・・・!


××※☆△*⌘◇××

してるところを目撃してしまって・・・

((((;゚Д゚)))))))



僕の尽誠学園に行くという進路は、

体験初日で断たれました。


最後残ったのが江ノ川学園なんですけど、

行ってみたらすごく良くて。

「ここが自分にとって一番いい」って

言い聞かせて入ったんが高校の入学の時です



ー高校に入ってからはどうでしたか?



村上:高校入ってしばらくしてから

先輩からのイジメがあって、

僕の持っていたグローブの紐を全部

ぶち切られるみたいな事があったんですね。

それで先輩と殴り合いの喧嘩になって、

先輩をボッコボコにしてしまったんですよ。


先輩は退学になって、監督(先生)が

「お前悪くないんやから残ってええぞ」

って言ってくれたんですけど、

基本的に100か0かの人間の僕は、

もう嫌だったんで…

やめて実家に戻ってきたんが

高1の夏前くらいですかね。



江ノ川を辞めてなくて、甲子園出てたら、

もしかしたら人生変わってたかもしれへんな

っていうのはありますね。


それで家に帰ってきて

「どうしようかな」って思ってた時に、

中学校の時の奈良育英が転入させてくれる

ってことで転入して、

ガソリンスタンドでバイトを始めました。


実は、中3の時もバイトしてたんですけど、

車とかバイクが好きで、当時先輩から

バイクをもらって乗ってたりしたんですけど

さすがに免許取って乗らなあかんやろ

って話で免許を取りに行きつつバイトして

KawasakiELIMINATORっていう

バイクを買ったんですね。



ーそれでバイクで日本一周に

つながっていくわけですね!



村上:そうです。夏はバイトをしまくって

お金を貯めて9月に入って半ばくらいかな。


その時おかんには、

「日本一周できるまで帰ってこーへん」

みたいなことを言ったんですけど、

そしたら「何言ってんの?あんた」

って言われながらも

「んじゃ行ってくるわ」ってその辺に行く

感覚で財布だけ持って出たんですよ。


京都からずーっと東の方に上がって行って、

横浜の中華街の『馬車道』という駅の近くで

中華を食べて、そこで一悶着あって、

3日くらいバイトしながらみたいな 笑。


色々ありながら青森まで行ったら、

その先は陸路で行けないらしいって事で。


フェリーに乗るお金もなかったし、11月で

「行ってもガチガチに雪降り出してるぞ」

って話をされた時に「あぁ、もう無理やな」

って思って家に帰ったという。



ーでもすごいなー。

若い時じゃないとできんことですよね。



村上:あー、そうですよね。

でもほんまに楽しかったです。


大学生の時、ほんまはバックパッカーとか

やりたかったんですよね。

お金は持って行かないで、むこうで稼いで

っていう生活をしながら1、2年くらい

世界放浪してみたかったんですよ。


結局やりたい事が別にできて

やらなかったですけど、

憧れはありましたね。



ー今まだ若い世代の子達にも

経験してみてほしいですね。



村上:めちゃくちゃオススメです!

色々ややこしい事もあるし、

いい事ばっかりじゃないんですけど、

少なくともサバイバル能力は上がりますよね



ー生きていく能力ですよね。



村上:そうです、そうです。

お陰で最悪今、一文無しになっても

何とかなるかって思ってますし、正直。



ー強いですね。ところで村上さん、

私気になってたことがあるんですけど、

お母さんの存在が大きかったと

伺ったことがありますが、

村上さんにとってお母さんは

どんな存在ですか?



村上:月並みな表現になっちゃうんですけど

僕にとって当時から母親の存在って

大きいと言うか、偉大だったんですよね。



ー偉大な存在・・・



後編に続きます。

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