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人生に偶然はない。全部自分で選択してきたもの〜㈱さくらパートナーズ 廣井重人社長

執筆者の写真: 倶楽部 オアシス倶楽部 オアシス

こんにちは!

私、阿部千恵美が先輩経営者様にお話を

聞かせていただき学ぶコーナー【情熱輩先】


青木輩先に引き続き

今回、インタビューさせていただいたのは、


著名人インタビューメディア『覚悟の瞬間』

に掲載されたこともある

株式会社さくらパートナーズ 廣井社長


【カッコいい大人には、覚悟がある】



自分自身を信じ、

信念を貫く覚悟を持ち、

決して目線は下げない。


そう心に決めて、

静岡県伊東市NO.1の不動産事業をはじめ、

建築事業、コンビニエンス事業、エステ事業

など様々な事業を展開中。



掲げるフィロソフィーのひとつは、


いつも明るく前向きに

夢を希望を抱いて

素直な心にて


人と人との繋がりを大切に、

地域の皆様の笑顔に貢献されています。


そんな廣井社長、今回は奥様の美夏さんと

お二人でのインタビューとなりました!


このご夫婦

お二人、本当に仲がいいと言うのか、

相手への尊敬の気持ち、感謝の気持ちを

お互いが持ち合わせていて、

すごくいいバランスでお互い支え合ってる。

そんな所も垣間見てもらえたら嬉しいです。



事前のHP情報で、廣井社長の趣味欄に

興味津々だった私。

早速そこからお話を伺ってみました。



ーー趣味がドラムと書いてありましたが、

いつ頃、何がきっかけだったんですか?



廣井社長:中1の時に出会いました。

当時、学校に研修で来ていた音楽の先生が

ドラムをやってて、控室にあったんです。


「なんだ?これ、すげえな!」

と思ったのがきっかけですね。


そこから毎日昼休みに仲間5人で、

20〜30分位練習しに行ってました。


その時はドラムしかなかったから、

5人で交代で練習して、競い合ってました。

自分が一番、センスありましたけどね。



そんな事を3ヶ月位やってたんですけど、

先生が研修を卒業される時に、

自分たち5人に言ってくれたんです。


「続けな」って。


「音楽は年とってもできるから、

絶対続けた方がいい」という言葉をもらって

「絶対やります!」みたいな。


その時に、先生が使ってるスティックを

1セットずつもらったんです。


それがきっかけで音楽をやるように

なったんですけど、


当時うちの兄貴がすごいBOØWYが好きで

兄貴からアルバムをもらったんです。


その時、衝撃でした。


「かっこいい!」


そこからですね、

バンドをやりたい、ってなったのは。



仲間の中で、誰がヴォーカル?誰がギター?

誰がベースやる?って話になって、


これも笑い話なんですけど、

"じゃんけん"で決めたんです。


すごくないですか?

本気の"じゃんけん"


本当に恨みなしの一発で。


人生の中で、大事な一回目の岐路に立つ

わけじゃないですか。

そこで、まさかのじゃんけんですよ。



私が負け続け、後はベースとドラムしかない

3回目に勝った時に、

「ベースは嫌だな」という

勝手な自分の主観ですけどね、

ドラムを先生から習ったのもあって


「じゃあ俺、ドラムやる」


って言ったのが中1の夏。


そこから人生の半分以上、

32年間、今もやってます。



一応、夢はYouTuberです!


「頑張ればうまくなるんだよ」って事を

ドラムで見せてあげたいなと思ってます。



美夏さん:昔、本当にプロデビューを

目指してたんですよね。



廣井社長:ラジオに出たりとかして、

自主制作で作ったものを売り込んでました。


一流のレコード会社とは契約はできなかった

んですけど、静岡のレコード会社と契約して

著作権をそこに委ねて、アルバムとかも

出させてもらったりしてやってました。



美夏さん:ワンピースの主題歌に

出したんだよね?


漫画のワンピースの主題歌の応募に出した

「パイレーツ」という曲があるんですよ。

あれはめちゃくちゃカッコいい。


彼は作曲が得意で、プロを目指してた時も

「パイレーツ」と同じアルバムに入ってる

「オールドラブソング」っていう曲は

作曲は主人で、ヴォーカルの人が作詞。


私たちの結婚式の時のサプライズで

何故かドラムの彼が歌わされたという 笑



ーー作曲できるんですね!すごい!!



廣井社長:ドミソと同じ音なんですけど、

ギターとピアノで和音が違うんですよ。

ギターの方が攻撃的なのが好きで、

よく夜に酔ってくるとギターでやってます。

「うるさい」って言われますけど 笑



美夏さん:こないだ田坂社長にも

オリジナルの曲を聞いてもらって、

歌詞つけてもらってね。



廣井社長:趣味レベルで楽しんでます。

自己満ですから。



ーー本当に楽しそうです。

趣味でもそうやって自分で生み出すこと

ができるのは羨ましいなと思います。


美夏さんは廣井社長の音楽に魅了されて

ますよね。


「素敵」って言ってくれる人がいる

というのは、伝わってるって事ですもんね

是非また聞かせてください。


青木社長とはその頃に?



美夏さん:プロを目指してた時の

対バンで出会ってるんです。

「こいつら、かっこいい!」って

(青木)謙吾さんが言ってくれて。

そこからのご縁ですね。



廣井社長:自分たちの作ったものを

引っさげて、新宿・八王子とか、

色んな所に行きました。


でも、まったくだめでした。


うまい奴なんてゴロゴロいるんです。

だから、自己満なんです。


うまい中に

もっとうまい人達の

さらにうまい人のさらに上にいるのが、

プロなんです。



うまいは当たり前で、個性があって、、


新宿とかで集まった時に、

自分達は25歳位だったんですけど、

18とか19歳の子がバンバンやってて、

しかもかっこいいんですよ。


完全に敗北宣言です。



毎回毎回対バンして、

伊豆まで帰るじゃないですか。


毎回反省会するんですけど、

反省じゃないんですよ。


「うちら、どうすんの・・・」と。



自信はあった。

でも、年がやっぱり・・・


は、言い訳ですけどね。



感受性って、

多感な人って早いじゃないですか。


僕今、45歳なんですけど、経験がもの言う

のは経営とかの話になってきますけど、

音楽は早い方がいい。


絶対音感も3歳までにつきますし、

45歳になってからつかないですからね。


あの時に自分達は本当に

「負けた」っていうのを味わいました。


でも、負けたくないから頑張りたい。


だけど、チームでやるわけじゃないですか。

自分1人でバンドができる訳じゃないから。


だから、最終的に揉めました。



自分は、全部を捨てて東京に行こうって。


みんなでアパートを借りて、

四畳一間でやってみようって。


でもやっぱり他のメンバーは、

彼女とか環境とかあるじゃないですか。


「俺は行けない」って。


すごい揉めましたね。



俺はなりたい。


みんななりたいんだけど、

なりたい度合いが違う。



でも、行かなくてよかったのかなって。

結果論ですけどね。


行ってたら変わったのかもしれないけど。


人生に偶然はないじゃないですか。

全部自分が選択してきたもの。



第2話は、大きな挫折を味わった廣井社長

その時、どう考え、どんな選択をしたのか

に続きます!

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